ごあいさつ

あらためまして、このたびは私(安田浩人)の生まれ育った地の焼き物、粟田焼のホームページにようこそお出で頂きました。

ここでは粟田焼の話から少し離れて私の略歴などをお話したいと思います。

まず、そもそも何故私がこの焼き物の世界に入ろうとしたかということからお話ししましょう。

学生時代

高校1年生の時に1年間ほどアメリカ、カリフォルニア州に留学しておりました。よくある話ですが、その海外生活を通じて、自分が日本人であるということを逆に意識させられたのでした。

留学中何かにつけて同級生などからいろいろと日本の事について尋ねられました。「マウント・フジの高さは?」とか「サダハル・オーは偉大か?」とか・・・。でも一番困ったのが、日本文化についての質問でした。「フラワー・アレンジメント出来るか」「ティー・セレモニィー見せてほしい」「ノー・ダンスてなに?」などといった質問に全く答えられない自分は果たして本当に『日本人』なんだろうか・・・、という自問がそのころ根付き、何時か何かの時に習ってみたい、習わなければ自分は日本人言えないし、日本人として恥ずかしいと思うようになったのでした。

茶の湯に触れる

無事大学生になったある日、NHKで佐竹本三十六歌仙の番組がありました。何の気なしにみていると、なんだか高価そうなお軸のお話・・・。そんなもの何に使うんだろうと思っていると、お茶の世界で使うらしい・・・。
『お茶かぁ・・・。』
その時、ふと留学中の苦い思い出がよみがえりました。『そうだ、暇な今のうちにちょっとお茶でも習って見ようカナ』
幸い、菩提寺のおばあさんがお茶を教えていらっしゃたので、2・3ヶ月お抹茶の飲み方を習うだけのような気軽な気持ちで習いだしたのでした。(「女の子の横で、出されたお抹茶をスーッと飲めたらさぞやカッコイイゾ!」という下心も多分にありました、ハイ (*^_^*)・・・)

さて、お茶を習ってみると、お茶にはいろいろな日本文化が凝縮されていることを知りました。また、お茶碗には重たいものや軽いもの、手におさまりの良いのやら飲みにくいのやらいろいろな表情があるのに気付きました。そうしているうちに今度は自分のお茶碗がほしくなりました。でも、お茶道具はとても高価で買えません。

作陶の道へ

『えいっ、それなら自分で作ってやれ!』

幸、家業が以前粟田焼の窯元で、その関係で父も焼き物を輸出する貿易業を営んでおりましたので、いろいろなところの窯元を存知ておりました。父にくっついて信楽や瀬戸、京都の窯元に行って土をもらってき、夕食の後の机を片付け、茶碗制作に励みました。

お茶碗を作り出した最初の頃は別段何も意識せず、只自分のお茶を飲む茶碗が欲しかっただけだったのですが、いくつも作っているうちに子供の頃からの思い出がよみがえってきました。祖父が『うちは粟田焼の窯元や』と言っていた事。小学校の校長先生の粟田焼のお話。陶片や窯道具のかけらの沢山落ちている我が家の庭でそれらを掘った事・・・・・。

当時私は経済学部の学生でした。今思えば、世の中はバブル経済の始まりの頃、そして、四回生の時は、今はなき三洋証券でのNTT株公募受付の伝票整理のアルバイト。まさにバブル経済まっただ中でした。

株式投資が『バブル』などという悪名を頂戴する前から株式投資をしていた私は、少なからず株のことを知っていましたので、三洋の方々にかわいがってもらい、「焼き物みたいなワケの解らないものなんてやめてウチの会社に入れよ」と、よく勧めてもらいました。あの時、フラフラとそちらの方に進んでいたら今の私はありません。
(ご承知のように三洋証券はその後倒産。あの時お世話になった皆さんはどうされたのかと、時々お案じしております。)

そして志となる

世の中には様々な仕事があるが、『たった一人の私』を活かせる仕事とは何だろう??
答えは明瞭でした。1分1秒先の利益を求めるよりも何百年も続いた郷土の、そして我が家の埋もれかけた歴史を再興させること、これほどやり甲斐のある事はないと考えました。

安田 浩人
陶 歴

陶  歴関連事項
1988
昭和63
陶工職業訓練校 成形科卒業 
1989
平成元
京都市工業試験場 陶磁器専修科本科修了
京都市美術工芸ギャラリーにて『陶八人展』開催
京都市美術工芸ギャラリーにて『七転八起会展』開催 以後毎年出品
 
1990
平成2 
京都市工業試験場 陶磁器専修科研究科修了
西村徳泉工房に就職
 
1991
平成3 
第13回京焼清水焼展に「青白磁百合香爐」初出品 京都共栄銀行社長賞受賞 
1993
平成5 
京都市主催『粟田焼との出合い』展招待出品5月6日(木)
NHK『くらしのチャンネル「粟田焼の復活にいどむ」』出演
1994
平成6 
京都府より「京もの工芸品技術後継者」に認定 
1995
平成7 
6月 西村徳泉工房より独立 
1997
平成9 
5月 東京 大手町画廊にて個展『月刊美術』7月号
「これがよかった」に大手町画廊での個展が取り上げられる
1998
平成10
’98淡交ビエンナーレ茶道美術公募展に「截金彩 粟田蓋置『─・│・/(たて・よこ・ななめ)』入選5月3日
NHK『日本列島小さな旅~流れは古都をうるおして~』出演(以後たびたび再放送)
5月
京都のケーブルTV、みやびじょん『京の七口を歩く~粟田口編~』出演
1999
平成11
沼津市御用邸跡茶室に作品献上
大丸京都店美術画廊にて個展
3月31日
『京都新聞』に【粟田焼復活させた窯元】と掲載
4月5日
KBS京都ラジオ『笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ』出演
2000
平成12
6月
茶道裏千家淡交会第三十九回近畿地区大会の記念品制作
2月
粟田小学校五年生より伝統産業継承についてのインタビューを受け、同23日『まちずくりフォーラムイン5年』(粟田小学校)にて発表される
『淡交テキスト「新・茶道工芸作家名鑑」』11月号に掲載される
2002
平成14
2月
東京渋谷 東急百貨店本店にて個展 
茶道裏千家坐忘斎千宗之若宗匠(当時)のご裁可により裏千家ホームページに東急展の個展開催をご紹介いただく
9月10日
『朝日新聞』【知あり技あり】に寄稿
2002
平成14
3月
京都 野村美術館にて個展
大丸京都店美術画廊にて第二回個展
NHK『京都上がる下がる』に出演(以後たびたび再放送)
『淡交』(淡交社)増刊号【香合を楽しむ】にエッセー「オーダーの楽しさ」寄稿
2004
平成16
青蓮院門跡 東伏見慈晃門主猊下晋山式の記念品製作
中宮寺門跡 日野西光尊御前様作品展のご染筆御茶碗生地製作
京都 野村美術館春季展『茶入展』に茶入の製作工程模型製作
2005
平成17
10月
東京 新宿益田屋にて個展
(社)滋賀県建築作家協会紙『鳰の巣』№31「えにしに随うということ」寄稿
『日本一明るい経済新聞』5月号に掲載
11月29日
『京都新聞』「提言 オピニオン」に寄稿
2006
平成18
2月
愛媛県 朝日屋茶道具店により新居浜・今治・西条にて個展
10月
青蓮院門跡 法要記念品製作
東京 三嶋東京店にて個展
広島県 北商店にて個展
4月
京都のケーブルTV、みやびじょん『京都人物記』に出演
6月10日
伝統未来塾主催第一回公開シンポジウム『茶陶の昨日・今日・明日』にパネリストとして出演 
7月26日
関西テレビ京都チャンネル『京都ちゃちゃちゃっ』に出演
(以後たびたび再放送)
9月22日
京都大学田中 克己教授『町家でわびきたす茶会』にて講演
10月号
『家庭画報』「名旅館の女将が注目する器」に作品掲載
2007
平成19
2月
横浜 みつぼりにて個展
5月
大丸京都店にて個展
『淡交テキスト』(淡交社)1月~12月に出演&作品掲載
2008
平成20
2011
平成
23
名古屋 大丸松坂屋美術画廊にて個展

作陶への思い

私は茶道が好きでこの道に進んだので、お茶の道に適ったものを造っていたいです。『自分が使いたいと思うようなものを造る』・・・ひょっとして私は『造る』より『使う』方が好きなのかも知れません。でも、それぐらいの方が良いと思っています。

今日ではカタログに載せ、同じものを沢山造って販売する方法もあるようですが、私はそういったことには興味ありません。DMカタログ販売の良さは地理的時間的制約なしに多くの使い手に作品を観ていただけることかも知れませんが、そういったお道具は果たしてどれだけ正式の場所でお使いいただけるか・・・。私には疑問です。所謂『目垢の付いたもの』は嫌われます。

お茶道具の楽しさのひとつはオーダー・メイドだと思います。茶会や茶事の、日時・趣向・他の道具との取り合わせ・ご亭主のお茶に対する思い・私の持てる技・・・・そういったものの中から最適の作品を造り出せれば最高だと思っています。

お茶会の楽しみのひとつはそのお道具の拝見です。テーマに沿った趣向やお道具が織りなすハーモニー、それを自由に操るご亭主はあたかもオーケストラの指揮者のようです。でも、いくらその協奏曲が素晴らしくても、その中のひとつの楽器の音だけを拾い上げたのでは、その良さは十分発揮出来ません。
お茶道具も同様。どんな高価なお道具も適材適所を得ないと良いお道具とはなり得ないと思います。逆に、拙作のごときものでも、お使いいただくご亭主の力量でその会を引き立てることが出来る!・・・・・事もある・・・・・(カモ?)
(*^_^*)
そこが観賞用の美術品、書画骨董類とお茶道具の違いだと思います。どんな脇の道具でも、その会の一寸したお話のタネになれればそんなに嬉しいことはありません。

私がこの場で作品を列べてしまうと、その拝見時の楽しさが失われてしまいます。
私のかわいいかわいい作品は個展会場かお茶会でご覧下さい。

このホームページはわたくし個人のものではなく、『粟田焼』のものでありたいです。