銹繪染付菊御紋燗鍋
帯山印(江戸時代)
粟田焼にはこうした十六弁の菊御紋をあしらった作品が多く見受けられる。この燗鍋(銚子)の形は本来漆器のものであろう。京焼ではこのように他の素材で出来ているものの形を写したり、また、染織のデザインを取り入れて絵付をするといった事が良く行われてきた。
禁裏御用を勤めていた帯山与兵衛の作。
花鳥繪長皿
『大日本京都陶磁器合資会社 亮山』とある。亮山は絵師。また、一番上の字は会社のトレードマークである。
1910年の外国の雑誌にこのトレードマーク入りの広告を出しているのを見かけたことがある。今から百年以上も前に海外の雑誌に広告を出していた例は少ない方ではないだろうか。
京都陶磁器合資会社製(明治・大正頃)。同社は明治29年に安田家が立ち上げた陶磁器輸出会社
アールヌーヴォー調花瓶
明治に入ると日本の工芸品がヨーロッパに輸出されて、ジャポニズムが流行した。その影響を受けて、アールヌーヴォー様式が生まれたが、本作はそのアールヌーヴォーをさらに取り込んだ作品。
時代は明治・大正の頃の作、里芋を写したものであろうか。高さ50センチを超える大作である。
七代目錦光山宗兵衛作
アールヌーヴォー調梟耳花瓶
ヨーロッパ向けの輸出品として、大正時代に制作されたアールヌーヴォー調の花瓶。木にとまった梟の造形、また器体にも梟が絵付けされている。
1994年の遷都千二百年記念行事として、百年前に京都で作られたやきものが樂美術館で展示された。この作品もそのひとつである。
京薩摩手桶花入
手桶形の花器で、明治時代の作品。いわゆる京薩摩の一種で中国の文人たちを描く琴棋書画がモチーフとなっている。
器の底に「大日本安田造」と赤絵で書き銘が記されている。
京薩摩錦手花瓶
『京都陶磁器合資会社 亮山』とある。亮山は安田の絵師。また、その上に会社のトレードマークである。錦光山や藪明山の作と並ぶ超絶技巧というべき極細密な絵柄が器体全体に描かれている。
京都陶磁器合資会社製(明治・大正頃)。同社は明治29年に安田家が立ち上げた陶磁器輸出会社