粟田焼年表

この年表は平成元年十一月十八日『粟田焼発祥之地』の碑を建立した際に、粟田焼保存研究会が発行した記念図録『粟田焼』の中に掲載されたものを元に「その他の事項」を盛り込んで制作しました。


安土・桃山(        〜1602(慶長7))

江戸初期(1603(慶長8)〜         )

江戸中期(1688(元禄1)〜         )

江戸後期(1804(文化1)〜         )

明治以降(1868(明治1)〜         



安土・桃山

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西暦

和暦

粟田焼関係事項

その他の事項

1554 天文二三 雲林院要蔵、御菩薩に築窯 鉄砲伝来(1543)
1557 弘治三 初代雲林院(寶山)要蔵康光歿
1568 永禄十一 二代雲林院(寶山)安平康成歿
1573 天正 天正年間、四代雲林院(寶山)安兵衛、秀吉の命により大仏殿の茶碗を焼く 室町幕府滅ぶ
1574 天正 二 この頃千宗易、織田信長の茶頭となる
1577 天正 五 長次郎、楽焼を始める
1582 天正 十 安田源左衛門尉宗光、天目山の戦い敗戦を機に京都洛東清閑寺村に移り住み、農の傍ら作陶
1585 天正十三 三代雲林院(寶山)熊之助康為没
1587 天正十五 秀吉、北野大茶会を催す
1589 天正十七 長次郎没
1591 天正十九 千利休没
黒谷で土器の製造始まる
1595 文禄 四 四代雲林院(寶山)安兵衛為宗没 音羽焼始まる
1598 慶長 一 奥村次郎右衛門、朝日焼を始める
李参平渡来
1600 慶長五 関ヶ原の戦い
1602 慶長 七 七月二六日「豊国廻廊之瓦修理申付粟田口瓦師甚三郎申者也」 『舜旧記』

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江戸初期

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西暦

和暦

粟田焼関係事項

その他の事項

1603 慶長  八 四月 一日「廻廊之瓦粟田口より来るなり」 『舜旧記』 江戸幕府始まる(1603)
1605 慶長  十 六月十五日「宗凡御会………肩衝京ヤキ」 『宗湛日記』
1606 慶長十一 宮川長閑斎、智恩院内に築窯
1608 慶長十三 五代雲林院(寶山)安平没
1610 慶長十五 初代安田源左衛門尉宗光(鍵屋)没
1615 元和  一 光悦、鷹ヶ峯に移り住む
大阪夏の陣(1615)
古田織部没
1617 元和  三 「粟田口瓦師」が崇伝の使として江戸へ下向
1623 元和  九 二代安田源之烝宗政(鍵屋)没 清閑寺焼おこる
光悦、鷹ケ峰にて作陶
1624 寛永  一 三文字屋九右衛門、粟田口三条通蹴上今道町に築窯。 『青蓮院旧記』 押小路焼おこる
1635 寛永十二 『隔冥記』、始まる。寛文八年まで三十四年間に及ぶ。
六代雲林院(寶山)熊之助没
常慶没
1637 寛永十四 本阿弥光悦没
1638 寛永十五 五月六日「榎之破木壱荷・灰壱俵、今日、自吉権、遣于作兵衛所也」
五月二十日「自大平五兵衛、茶入五ツ來。粟田口作兵衛焼之茶入、自此方、切形遣之茶入也。内々参ケ之約束、依然、弐ツ返于五兵衛也。参ツ留置也『隔冥記』
「粟田口キセル土物」  『毛吹草』
1640 寛永十七 三月十三日 ・・・作兵衛者於粟田口而焼茶入者也・・・
四月 六日 ・・・茶入作之清兵衛初同道茶入共 香炉香合掛車而作也・・・
など、この頃粟田焼に関する記述多数。『隔冥記』
1641 寛永十八 三代安田喜十郎宗清(鍵屋)没
1645 正保  二 七代雲林院(寶山)文蔵粟田分木町に築窯 『陶磁器業者ニ関スル取調書』
1646 正保  三 酒井田柿右衛門、赤絵付に成功 この頃野々村仁清御室に開窯か
1647 正保  四 小堀遠州没(六九才)
1656 明暦  二 金森 宗和没(七三才)
三代楽道入没(五八才)
1657 明暦  三 この頃、仁清、色絵を完成
茶碗屋久兵衛、清水焼を始める
七代雲林院(寶山)文蔵没
1661 寛文 寛文年間、錦窯始まる 『粟田陶器沿革』
1663 寛文 三 尾形乾山生れる
1664 寛文 四 後水尾上皇の修学院離宮での御庭焼『修学院焼』開窯。粟田口の陶工が製陶に携わった。延宝年間頃まで焼かれた。
1665 寛文 五 大樋焼始まる
1668 寛文 八 『隔D記』の著者、鳳林承章没
1671 寛文十一 四代安田源七郎宗B(鍵屋)没
1672 寛文十二 「粟田口焼ニモ贋物多シ諸事不都合ニテイヨイヨヨロシカラヌ焼物ナリ」 『茶器弁玉集』
1677 延宝 五 高橋藤九郎(初代帯山)粟田口東町に移り住む
1678 延宝 六 土佐国尾戸焼の陶工、森田久右衛門、粟田焼など京焼見学し、『森田久右衛門日記』を記す。
1680 延宝 八 高橋藤九郎(初代帯山)粟田に築窯
1681 天和 一 「修学院焼香合、 粟田口水指」 『一乗主人日次記』
1683 天和 三 八代雲林院(寶山)九左衛門没
1684 貞享 一 「野上茶碗 粟田口焼香合 音羽焼皿」 『一乗主人日次記』
1686 貞享 三 五代安田武右衛門宗定(鍵屋)没 生類憐みの令(1687)

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江戸中期

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西暦

和暦

粟田焼関係事項

その他の事項

1689 元禄 二 六代安田源太郎(鍵屋)、粟田口中之町に築窯。後に桑原三位□□卿より錦光山の号を賜り、七代よりその号を用いる。
1693 元禄 六 初代小林徳右衛門(鍵屋・錦光山)誕生
1694 元禄 七 「一、粟田口焼△茶入△茶碗其外品々有茶入は土薬なり、かっこう唐物ひたち帯によく似たる物也」 『古今和漢諸道具見知鈔』
1696 元禄 九 八月、九左衛門、 江州南桜村の山を給せられ同山の土を以て陶器を造る 『京都御役所向大概覚書』
1697 元禄 十 「一、 粟田口焼物師……九左衛門 一、 清水焼師……清兵衛、 一、御室焼物師……野々村仁清」 『茶湯評林大成』
1699 元禄 十二 尾形乾山、鳴滝に築窯
赤穂義士、討ち入り(1702)
1704 宝永 「宝永ノ頃ヨリ白色緑藍色柿色墨色等ノ画アリ 又焼締ノ器アリ薬ナシ」 『粟田陶器沿革』
1711 正徳 正徳年間、一文字屋(暁山)粟田に開窯
1712 正徳 二 六代安田源太郎(鍵屋)没 乾山、鳴滝窯廃窯
1713 正徳 三 十二月、粟田口焼の陶工が登窯を築く為借金する 『雲林院寶山文書』
1714 正徳 四 「正徳四年〜享保三年に粟田口焼本窯并素焼窯所持十三軒、素焼窯所持七軒」 『京都御役所向大概覚書』
1716 享保 一 五代楽宗入没(五三才)
享保年間、海老屋清兵衛作陶する
享保の改革(1716)
1723 享保 八 寶山湛海師、洛東粟田口に歓喜院を営み、九代雲林院安兵衛(茶碗屋)、師より『寶山』の号を贈られる。以後代々この号を用いる。九代雲林院安兵衛(茶碗屋)没
1733 享保十八 七代安田源七宗信(鍵屋)没
1734 享保十九 一月二九日 「水指 仁清 塗蓋 茶碗 粟田口焼 黒』 (槐記) 高橋藤九郎(初代帯山)没
1737 元文 二 尾形乾山、『陶工必用(江戸伝書)』『陶磁製法(佐野伝書)』著
1738 元文 五 初代清水六兵衛誕生
1739 元文 六 六代楽左入没(五五才)
1743 寛保 三 尾形乾山没(八一才)
1745 延享 二 正月十一日 「御境内御茶碗師九右衛門義近年身上甚以不勝手ニ相成……」 『本朝陶器攷證』
1748 寛延 一 和気亀亭、五条に築窯
1749 寛延 二 初代高橋道八、伊勢亀山に生れる
1752 寛延 三 奥田頴川、京都に生れる
1755 宝暦 五 御茶碗師九左衛門(三文字屋)、将軍家御用焼物師の地位を辞す。二月、九代将軍徳川家重、岩倉山吉兵衛・錦光山茂(喜)兵衛に陶器調進を命ずる 『陶器辧解』  『陶磁器業者ニ関スル取調書』
1756 宝暦 六 鍵屋、号を錦光山と改める
1758 宝暦 八 「東町 同断 鍵屋源助 右之者共当時いづれも窯持にて茶器の類其外土瓶茶碗急須行平其の外世用之品々焼立諸国へ売弘め申候」
この頃、粟田焼従事者二十戸という
二代帯山与兵衛歿(七一才)
1759 宝暦 九 二代鍵屋茂兵衛(錦光山)没
「 錦光山茂兵衛之墓、超勝寺門前町超勝寺にあり、 名は柳仙、 粟田の陶工なり 宝暦五年八月十八日没す、孫宗兵衛ノ墓傍にあり略す」 『京都坊目誌』
1762 宝暦十二 「三条通今道町(中略)此辺粟田口焼とて陶器の名物有 南側に錦光山といふ御陶器師居宅有」 『京町鑑』
1763 宝暦十三 この頃、初代高橋道八粟田口に築窯
1764 明和 「明和年中堆朱沈金唐草等ノ金銀彩色(又和欄陀写アリ)ノ法行レリ」 『粟田陶器沿革』
1765 明和 二 八代安田源七宗義(鍵屋)没 初代和気亀亭没
1767 明和 四 青木木米、京都祇園新地縄手町の茶屋「木屋」の長男として生れる
1769 明和 六 十一代雲林院(寶山)文造没
1770 明和 七 粟田口東町家屋敷三六軒のうち陶業に従事する者二一人、その所持する家屋敷の最高が三軒、その他百姓家五軒、青蓮院寺侍屋敷二軒 『粟田口東町割印沽巻改帳』 『雲林院寶山文書』 七代楽長入没(五七才)
初代小林徳右衛門(錦光山)没(七八才)
1771 明和 八 初代清水六兵衛、五条坂に築窯
1774 安永 三 八代樂得入没(三十才)
1781 天明 「四世与兵衛ハ天明年間業ヲ継ク」 『陶磁器業者二関スル取調べ書』
1782 天明 二
1783 天明 三 三代帯山与兵衛没(六二才)
1788 天明 八 この頃、奥田頴川、五条坂に築窯
西村了全、油小路一条へ転居
1789 寛政 一 十二代寶山熊之助没
1790 寛政 二 四代帯山与兵衛、陶質瑠璃地青浮起模様堆朱沈金彫様諸器を製する
1793 寛政 五 錦光山宗兵衛、薩摩の星山中併衛、川原芳工に錦手の技を伝授する
1795 寛政 七 九代安田源七宗楽(鍵屋)没
1796 寛政 八 この頃、青木木米粟田口東町に開窯。一文字屋の名義を譲り受けたと言われる
1799 寛政十一 粟田口焼窯元(登り窯を所有する陶家)数八軒。その他焼屋中を構成していた陶家は十四軒 粟田口焼の窯元・職方が仲間取締り、新窯禁止を申合せる「粟田口焼職方仲間『定』」 『雲林院寶山文書』 初代清水六兵衛没(六二才)
1801 享和 「享和年間 (永楽)保全、粟田口の陶器師岩倉山某に陶法を倣う」『陶磁器業者ニ関スル取調書』
1802 享和 二 「左兵衛作からものうつし上品にてあたえも又貴し」「左兵衛は唐物をうつすに妙を得たるものなり」 『煎茶早指南』
享和 三 青木 木米、紀州にて製陶法を伝授する。

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江戸後期

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西暦

和暦

粟田焼関係事項

その他の事項

1804 文化 一 青木 木米、『陶説』を翻刻する
初代高橋道八歿(五六才)
1805 文化 二 青木木米、青蓮院宮粟田口御所御用焼物師を許される 『青蓮院日次記』
茶碗屋熊之助、帯屋与兵衛等青蓮院の出入を許される『華頂要略』
1806 文化 三 青木木米、金沢卯辰山、春日山に赴く(文化五年迄)
二代高橋道八、青蓮院宮の御出入を許される
三代錦光山喜兵衛歿
1808 文化 五 十代鍵屋源七宗久歿
1809 文化 六 水越與三兵衛、五条坂に築窯
1810 文化 七 初代和気亀亭、肥前くに伊万里に赴く
1811 文化 八 二代高橋道八、窯を粟田口夷町より清水坂大谷前西落町へ移す『陶磁器業者ニ関スル取調書』 奥田頴川歿
二代清水六兵衛、家業を再興する
1812 文化 九 初代和気亀亭開窯
1817 文化十四 五代帯山与兵衛歿
1818 文化十八 十三代寶山安右衛門歿
文政 一 五代帯山与兵衛歿 尾形周平、岡田久太を伴い北摂桜井里窯へ赴く
1819 文政 二 十四代寶山熊之助隠居する 『陶磁器業者ニ関スル取調書』
1822 文政 五 青木木米、青蓮院の命により窯を築く
青木木米、青蓮院に参賀する『青蓮院日次記』
二代高橋道八、青蓮院に参賀する『青蓮院日次記』
1823 文政 六 洛東岡崎の土を五条坂陶家が買占め、粟田との間で抗争生じる
粟田今道町に鍵屋喜兵衛家、鍵屋源七家共同で築窯。窯場は喜兵衛家の土地、仕事場は源七の土地、費用は当時隆盛を極めていた一文字屋忠兵衛に連名で八三両借用
1824 文政 七 五条坂で粟田似に製品が焼かれ、抗争生じる 二代高橋道八、西本願寺本如上人のために露山焼を開窯
1825 文政 八 二代道八、仁和寺宮から「仁」と「法橋」、醍醐三宝院からは「阿弥」の号を受ける
1827 文政 十 仁阿弥道八、尾形周平、楽旦入、永楽保全、了全ら紀州徳川家の偕楽園焼に赴く
1828 文政十一 十一代鍵屋源七歿 仁阿弥道八、薩摩の重久元阿弥に金焼付を指導する
1829 文政十二 十二代鍵屋源七、家督を弟久次郎(後久楽)に譲り、近江国大津市鍋屋町の勢田屋七兵衛家を継ぐ
1830 文政十三 欽古堂亀祐「陶器指南」発行
天保 一 「天保年間ニ及フンテ人物画始メ製ス」 (粟田陶器沿革) 初代松風嘉定、清水に開窯
1831 天保 三 四代錦光山喜兵衛歿。倅、市太郎(当時十二才)は岩倉山へ引取られ、幕府御用は岩倉山へ。 仁阿弥道八、讃窯を起す 頼山陽歿
岡田久太歿
1833 天保 四 青木木米歿(六七才)
初代長谷川美山歿
1834 天保 五 初代清水蔵六、和気亀亭に学ぶ九代楽了入歿(七九才)
1835 天保 六 青木木米校訂の「陶説」刊行される
1836 天保 七 五代錦光山喜兵衛(四代の弟)歿 初代和気亀亭歿(四七才)
1838 天保 八 欽古堂亀祐歿(七三才)
1839 天保 十 尾形周平歿
1840 天保十一 四代錦光山喜兵衛の子 歿(二十才)
1841 天保十二 五条坂・清水・粟田口三所職方和順する
『五条坂粟田焼出入一件録〔春窓庵所蔵文書〕』
仁阿弥道八、家督を三代道八に譲り桃山窯を興す
十代西村善五郎(了全)歿 (七一才)
浅見五郎介、二代清水六兵衛の門に入る
1842 天保十三 二代長谷川美山、能楽人躰風雅を模写し絵付けする 仁阿弥道八、隠居し桃山窯を起す
十五代寶山熊之介(松平)歿
1843 天保十四 岩倉山吉兵衛、粟田口東町に築窯
六代帯山与兵衛歿
仁阿弥道八、京都岡崎焼始める
初代真清水蔵六、五条坂に開窯
1844 弘化 弘化年間永楽保全、鷹司政通より陶印を賜う
1848 嘉永 一 嘉永年間に鍵屋源(号久楽)鷹司関白殿下に召され、御前にて茶器をする
丹山青海、粟田中之町に築窯
1851 嘉永 四 ロンドンにて万国博覧会開催
真葛長造歿
1853 嘉永 六 丹山青海、青蓮院宮が陶器物産会所を開設する際に同所の御用陶器師となる ペリー浦賀に来航
1854 安政 一 十一代永楽保全歿(六十才)
十代旦入歿(六十才)
1855 安政 二 二代仁阿弥道八歿(七三才)
1857 安政 四 寶山文蔵、青蓮院宮より泰平の号を拝領する
1858 安政 五 鍵屋源七久楽、粟田口蹴上の一文字屋喜兵衛の窯を買取り、家督を譲り受ける
1859 安政 六 十二代鍵屋源七歿
十三代鍵屋源七久楽
1860 万延 一 二代清水六兵衛歿(七一才)
1861 文久 一 七代帯山与兵衛歿
1862 文久 二 二代長谷川美山歿 □代岩倉山(錺屋)吉兵衛歿 ロンドン万国博覧会開催(日本正式参加)
1863 文久 三 初代伊東陶山粟田口に開窯 初代清風与平歿
1867 慶応 三 初代伊東陶山、祇園近くの白川畔に『陶山』の号を以て店を開く 大政奉還
パリ万国博覧会に政府正式参加

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明治以降

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西暦

和暦

粟田焼関係事項

その他の事項

1868 明治 一 ワグネル、長崎に来訪
1869 明治 二 丹山青海、紀州男山窯に赴く 三代高橋道八、佐賀藩に招かれ京焼彩画法を伝える
真葛焼(横浜)起る
1870 明治 三 舎密局設置される
1871 明治 四 廃藩置県
1872 明治 五 錦光山、帯山ら海外貿易の緒を神戸の居留地外人と開く
丹山青海、『陶器弁解』を著わす
第一回京都博覧会開催。錦光山宗兵衛、帯山与兵衛、高橋道八ら作陶を実演
丹山青海ら受賞
錦光山宗兵衛、丹山青海ら「職業出精ノ者」として京都府より表彰される
1873 明治 六 ウィーン万国博覧会(オーストリア)開催。粟田五条陶工の名で有効賞胚牌を受賞。この時、丹山陸郎、政府参加派遣使に選ばれる
伊東陶山、宇治の朝日焼を復興する
1874 明治 七 □代岩倉山吉兵衛(文作)歿
1875 明治 八 丹山陸郎研修より帰国。この時石膏型成形法・絵付用水金等を日本に伝える
第四回京都博覧会より丹山青海、高橋道八ら審査員となる。錦光山宗兵衛ら受賞
五代錦光山(丸屋)長兵衛没(七七才)
有田香蘭社創立
1876 明治 九 錦光山、幹山が西洋風上絵具を採用する
第5回京都博覧会より審査員に寶山文蔵ら加わる
丹山青海、幹山伝七、金谷五郎三郎ら勧業場御用掛となる
フィラデルフィア万国博覧会(アメリカ)開催。丹山青海、錦光山宗兵衛、辻長右衛門、帯山与兵衛ら出品
1877 明治 十 第1回内国勧業博覧会(東京)開催。丹山青海ら受賞
鍵屋源七、粟田口梅宮町に貿易商店を開く
伊東陶山、墨画濃淡焼付法を発明
六代暁山忠兵衛(一文字屋)歿。一文字屋廃業二代岡田久兵衛歿(六一才
西南戦争勃発。薩摩焼に影響
初代真清水蔵六歿(五六才)
1878 明治十一 ワグネル、舎密局に招聘される
パリ万国博覧会(フランス)開催。丹山青海、並河靖之らが受賞
この頃粟田焼は幕末期の衰退状況から回復。全生産額の九割を輸出に向ける
八代帯山与兵衛歿
二代清風与平歿
1879 明治十二 シドニー万国博覧会(オーストラリア)開催。錦光山宗兵衛、高橋道八ら受賞 三代高橋道八歿(六九才)
1880 明治十三 三代清水六兵衛の次男龍三郎、帯山与兵衛家に養子として迎えられる
1881 明治十四 第二回内国勧業博覧会(東京)開催。帯山与兵衛、錦光山宗兵衛ら受賞
1882 明治十五 丹山陸郎、研修のため再度渡欧(十九年帰国)
1883 明治十六 アムステルダム万国博覧会(オランダ)開催。錦光山宗兵衛、安田喜三郎、帯山与兵衛、丹山陸郎、伊東陶山ら受賞 三浦竹泉開窯
十四代安田源七(鍵屋)歿
1884 明治十七 六代錦光山(丸屋)宗兵衛歿(六二才)
1885 明治十八 イギリス万国博覧会開催。丹山青海、帯山与兵衛ら受賞
1886 明治十九 粟田に艮組合、五条清水に巽組合設立 五条坂に陶磁器蒐集場を設置
京都陶器会社設立
1887 明治二十 丹山青海歿
三代長谷川美山歿
1888 明治二一 バルセロナ万国博覧会(スペイン)開催。安田源七、錦光山宗兵衛、帯山与兵衛、伊東陶山ら受賞
1889 明治二二 パリ万国博覧会(フランス)開催。帯山与兵衛、錦光山宗兵衛、楠部千之助、伊東陶山、安田源七、高橋道八ら受賞
十六代寶山文蔵(泰平)歿(七十才)
1890 明治二三 幹山伝七歿(七十才)
1891 明治二四 伊東陶山、本窯色絵釉料を発明
1892 明治二五 ワグネル東京にて歿
1893 明治二六 シカゴ・コロンブス記念万国博覧会(アメリカ)開催。丹山陸郎、伊東陶山、錦光山宗兵衛、安田源七、帯山与兵衛、高橋道八ら受賞
1894 明治二七 京都陶磁器商工組合結成。(初代組合長、錦光山宗兵衛)艮組合、巽組合廃止 日清戦争勃発(〜九五)
帯山与兵衛家廃業
1895 明治二八 第四回内国勧業博覧会開催。安田源七、伊東陶山ら受賞
1896 明治二九 京都陶磁器試験場設立(五条坂) 錦光山宗兵衛、伊東陶山、安田源七、高橋道八ら商議員となる 十二代永楽和全歿(七六才)
鍵屋源七、鍵屋喜三郎、輸出向陶磁器の製造販売を行うために京都陶磁器合資会社を設立
1897 明治三十 錦光山宗兵衛、この頃より輸出向日用品陶器を制作 四代高橋道八歿
丹山陸郎歿(四四才)
1899 明治三二 伊東陶山、緑綬褒章を受賞 京都陶器会社解散
1900 明治三三 諏訪蘇山、錦光山工場に招かれ九谷より移る
パリ万国博覧会開催。アールヌーボー様式が登場。錦光山宗兵衛、宮永東山ら視察。錦光山宗兵衛、宇野仁松ら受賞
1901 明治三四 宮永東山、錦光山工場の顧問として迎えられる
1902 明治三五 十一代楽慶入歿
1903 明治三六 第五回内国博覧会(大阪)開催。錦光山宗兵衛、アール・ヌーボー様式の花瓶を出品
伊東陶山、錦光山宗兵衛、宮永東山ら「遊陶園」を結成
1904 明治三七 京都市陶磁器試験場、粟田陶器の改良に取り組む 日露戦争勃発(〜05)
1905 明治三八 リェージュ万国博覧会(ベルギー)開催。錦光山宗兵衛ら受賞
1907 明治四十 伊藤陶山ら佳美会を結成
伊藤陶山、錦光山工房を退き独立。始め五条坂にて製陶。その後三条白川筋に店舗と工場を移す
この頃伊東翆壺、二代伊東陶山の門に入る
1912 明治四五 伊東陶山久邇宮邦彦殿下より「陶翁」の号及び金印、銀印を賜る
1913 大正二 農商務省第一回図案及び応用作品展覧会開催。伊東陶山、河村蜻山、板谷波山、清水六兵衛、河合榮之助ら出品
三条通の東山線以東南側の拡張工事行われる
1914 大正三 第一次世界大戦勃発(〜一八)
1915 大正四 河村蜻山、粟田から伏見深草に移り築窯
二代安田喜三郎歿
初代三浦竹泉歿
1917 大正六 伊東陶山、諏訪蘇山、帝室技芸員となる
1918 大正七 伊東翠壺、二代伊東陶山の婿養子となる
1919 大正八 京都市陶磁器試験場を国立陶磁器試験場に昇格 この当時の京都の陶磁器関係職工数二四三〇人
1920 大正九 楠部彌弌、河合榮之助、河村己多良、八木一艸、荒谷芳景、道林俊正らと共に『赤土』結成
初代伊東陶山、洛東山科鏡山に築窯。初窯の三日後に歿する(七六才)
四代清水六兵衛歿(七三才)
1922 大正十一 九代帯山与兵衛歿 初代諏訪蘇山歿
1923 大正十二 関東大震災
1924 大正十三 パリ万国博覧会(フランス)開催。楠部彌弌ら受賞
1927 昭和二 七代錦光山宗兵衛、貿易振興に尽し緑綬褒章を受賞し、従六位に叙せられる 第一次金融恐慌起こる
1928 昭和三 七代錦光山宗兵衛歿(六一才)
1929 昭和四 世界恐慌
1931 昭和六 伊東翆壺、五条坂に築窯
三条通の東山線以東北側の拡張工事行われる
十八代寶山泰造歿
満州事変勃発
1932 昭和七 十五代安田源七歿 十二代樂弘入歿(七六才)
1935 昭和十 この頃錦光山商店閉鎖
1937 昭和十二 十七代寶山熊之助(昌平)歿(八九才)
二代伊東陶山歿(六六才)
支那事変勃発
1940 昭和十五 楠部千之助、粟田神社参道三条通入口角に「神社由緒書舎」を奉納
楠部千之助歿(八一才)楠部陶器貿易工場廃業
藤平正一、通称俣野窯(登記簿上は安田修次郎)を譲り受け製陶
1941 昭和十六 第二次世界大戦勃発(〜四五)
初代宮永東山歿(七三才)
1943 昭和十八 政府による企業合同により藤平窯業有限会社が生まれる
1944 昭和十九 八代錦光山誠一郎歿(四八才) 十三代樂惺入歿
1945 昭和二十 藤平正一、粟田での製陶(粟田最後の登り窯)を終え、以後五条坂にて製陶 終戦
1953 昭和二八 京都陶磁器合資会社倒産
1954 昭和二九 河村蜻山、鎌倉に移り、築窯
1959 昭和三四 五代清水六兵衛歿(八五才)
1962 昭和三七 楠部彌弌、芸術院会員となる
1963 昭和三八 富本憲吉歿(七七才)
1966 昭和四一 河井寛次郎歿(七七才)
1967 昭和四二 河村蜻山歿
1969 昭和四四 楠部彌弌、京都市文化功労者となる
1970 昭和四五 三代伊東陶山歿(七十才) 万国博覧会(大阪)開催
1971 昭和四六 藤平正一歿 京都府公害防止条例公布。登り窯の使用が規制される
1978 昭和五三 楠部彌弌、文化勲章受章
三代安田喜三郎歿(八六才)
1980 昭和五五 清水六兵衛歿(八十才)
十四代樂覚入歿(六一才)
1982 昭和五七 十九代寶山泰之助(高臺)歿(七五才)
1984 昭和五九 楠部彌弌歿(八七才)従三位に叙せられ、銀杯を下賜される
1989 平成一 十一月十八日『粟田焼発祥之地』碑建立並びに同記念図録発刊
平成 『粟田焼発祥之地』碑建立並びに同記念図録発刊に尽力した粟田焼研究家、小川金三歿
1999 平成十一 四代安田嘉徳歿(七三才) 裏千家十五世婦人千登三子歿
武者小路千家千宗○歿

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主な参考文献
  『京焼百年の歩み』               (財)京都陶磁器協会
  『茶の湯と京焼T仁清・乾山・古清水』    茶道資料館
  『茶の湯と京焼U仁阿弥・保全を中心に』  茶道資料館
  『明治の京焼』                  京都府総合資料館

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